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Wednesday, January 18, 2023

三戸南部氏の城跡「聖寿寺館跡」 当時の呼称は「堀内」か|NHK ... - nhk.or.jp

南部町にある国の史跡、「聖寿寺館跡」について、町の教育委員会は、当時、「堀内」と呼ばれていた可能性が高いと発表しました。
同様の文字が刻まれたすずりが出土したことからわかったもので、当時の城の研究を進める上で重要な資料だとしています。

国の史跡、「聖寿寺館跡」は、戦国時代に北東北で権勢を誇った三戸南部氏が拠点とした城跡で町の教育委員会が長年、周辺の発掘を行っています。

教育委員会は、平成26年に出土したすずりを詳しく調査した結果、裏面に刻まれていた「堀内」の名称が当時の聖寿寺館跡の呼称だった可能性が高いと、18日、発表しました。

教育委員会などによりますと、このすずりが見つかったほかに、およそ570年前、室町幕府の使節団が三戸南部氏の分家に宛てた書状に「堀内」という名称が登場し、文脈上、聖寿寺館跡を指していると考えられることから今回の判断に至ったということです。

町教育委員会の布施和洋さんは「これまで城跡の呼び方は全くわかっていなかったので非常に大きな発見で、城跡の研究や解明がさらに進むのではないか」と話していました。

このすずりは21日から城跡の案内所で展示されます。

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