14年前(2009年)に奈良県桜井市の古墳から見つかった、大量の鏡の破片を県立橿原考古学研究所が分析したところ、もとの鏡は100枚を超える数だったことがわかりました。
ひとつの古墳から100枚以上の鏡が出土した例はほかになく、専門家は邪馬台国の女王、卑弥呼と関係している可能性があるとしています。
およそ1700年前の古墳時代前期に造られた奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳では、14年前に青銅製の鏡の破片が大量に見つかり、発掘調査を行った県立橿原考古学研究所は当時、もとの鏡の数は少なくとも81枚としていました。
研究所が鏡の破片を3次元で計測し、コンピューター上で組み合わせて復元したところ、もとの鏡の数は103枚以上だったことが新たにわかったということです。
鏡は14種類あり、最も多かったのは邪馬台国の女王、卑弥呼が中国から授かったという説もある「三角縁神獣鏡」で26枚でした。
研究所によりますと、ひとつの古墳から100枚以上の鏡が出土した例はほかにないということです。
【専門家“邪馬台国有力地”】
今回の調査について古墳時代の鏡について研究している大阪大学の福永伸哉 教授は、「出土した鏡1枚だけでも有力な首長と言えるのに優れた鏡が100枚以上納められた古墳があるとは思ってもみなかった」と考古学的に非常に価値の高い発見だとしています。
中でも「画文帯神獣鏡」と「三角縁神獣鏡」が数多く見つかっていることについて、福永教授は「邪馬台国」の女王、卑弥呼と大きく関係していると指摘しています。
「画文帯神獣鏡」は、「邪馬台国」の時代と重なる同じ奈良県桜井市にあるホケノ山古墳でも見つかっていて、卑弥呼が政治で使ったとされ、19枚も見つかったのは今回が初めてということです。
また「三角縁神獣鏡」は卑弥呼が中国から当時の日本の王と認められ「親魏倭王」となった後に使っていたとされ、26枚が出土しています。
このことから福永教授は「邪馬台国の所在地としてこのような場所がかなり有力だと考えるのは自然だと思う」と述べたうえで、「邪馬台国からヤマト政権への連続性がはっきりとたどれ、ヤマト政権の王が桜井茶臼山古墳に葬られている可能性が非常に高い」と話しています。
【桜井茶臼山古墳とは】
桜井茶臼山古墳は、およそ1700年前の古墳時代前期に築かれた全長200メートルの巨大な前方後円墳で、国の史跡に指定されています。
昭和24年と翌年の発掘調査で緑色の玉でつくった儀式用のつえや鏡の破片など多数の副葬品が見つかり、古墳の規模や副葬品の豊富さなどから日本初の統一政権とされるヤマト王権を率いた王の墓ではないかとの指摘があります。
平成21年には、奈良県立橿原考古学研究所が再び調査を行って、埋葬施設の石室の周辺の土から大量の鏡の破片が見つかりました。
このほかにも、古墳の中心部にある埋葬施設の石室が全面にわたって赤い顔料で塗られていたことが確認されたほか、埋葬施設を囲む柱の列の跡が、国内の古墳で初めて見つかりました。
古墳時代が始まる3世紀から4世紀にかけての大型の前方後円墳の多くは宮内庁が管理していて、研究者でも立ち入ることができず、発掘が可能な桜井茶臼山古墳の調査成果は、当時の王の墓を解明するうえで貴重な手がかりになると注目されています。
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