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Saturday, March 27, 2021

キートン山田「一回死んで、強くなりました」……大きな挫折が『ちびまる子ちゃん』の名ナレーションを生んだ - 文春オンライン

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 3月28日放送の『ちびまる子ちゃん』卒業とともに声優業も引退するキートン山田。あの独特の「キートン節」はどのようにして生み出されたのか? そのきっかけになった「死」まで考えたという30代での大きな挫折、そして今後の「終活」について語ってもらった。

キートン山田に影響を与えた小倉智昭のナレーション

――『ちびまる子ちゃん』の前から自然体のナレーションを心がけるようにされていたそうですね。

山田 はい、とにかく「自分らしく」を貫いていました。

――自然体で自分を出していこうと考えるようになったきっかけは何だったのでしょう?

山田 30代半ばで挫折して、もう一回やり直そうと思ったとき、このままではどう頑張っても素晴らしい先輩たちに技術でも声でも敵わないと感じたからです。

 存在感を出すには、素の自分を出すしかない。人生経験はそれぞれ違うじゃないですか。それを隠して“上手い役者”を目指してきたわけですが、それでは先輩に敵わない。ならば、全部取っ払って、もともと持っている泥臭い感じを出していくしかない。でも、自分をさらけ出すのは勇気がいるから、なかなか上手くいきませんでした。

キートン山田さん ©深野未季/文藝春秋

――自分の歩んできた人生を武器にしようとしたんですね。

山田 ある意味、開き直りでしたね。38歳で思い立って、ずっと試行錯誤して、44歳で『ちびまる子ちゃん』に出会ったんです。

――台本がある中で「自分を出す」とは、具体的にどんなことをしたのでしょう?

山田 キャラクターならセリフから「こういう人物だな」と理解して、そこから役柄を引っ張り出していきますよね。でも、ナレーションはキャラクターがいないから、思いっきり自分を乗せることができるんです。それができるように努力しました。

 実は小倉智昭さんの影響が大きかったんです。まだ自分でナレーションをする前、当時大ブームだった小倉さんのナレーションを聞いて、「あっ、ナレーションってこんなに笑えるものなんだ」と初めて気づきました。それまでは真面目なものが多かったからね。テレビを見ながら真似してみましたが、難しくてできなかったな。

 あとは江戸落語を聞いて、庶民の喋り方をナレーションに取り入れました。べらんめえ口調にはなっていないんだけど、自分なりにやってみるとOKが出る。少しずつ味付けをしながら、ナレーションの面白さを自分なりに追求し続けた結果、キートン節になったんです。

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