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Monday, April 22, 2024

恋から性欲を引いたら何が残る?「対照実験」をしてわかったこと - 読売新聞オンライン

上坂さんへ

しかも行けてないからね、京都。恋人が重度の結膜炎になってしまい、キャンセルしたのです。「キャンセル料払います」と即座に送られてきたのが、どっと疲れた。キャンセル料の問題じゃないんだよ~、お金の話で言ったら、当初の日程にあわせたジェルネイル代、眉サロン代、ニットワンピ代もあるよ~とか、あれこれ言いたくなるのを抑え「とにかく療養に専念してください」とだけ送りました。好きな人間、しかも病人相手でも、自分の欲望が前に出てしまう己の未熟さよ。全身が重い1週間でした。

上坂さんと私は、「恋バナ」をする機会は多かったよね。恋バナを通じて仲良くなったといっても過言ではないはず。

出会ったばかりの頃、表参道にあるお 蕎麦(そば) 屋さんで、「男友達から告白されて、2人の友好は、相手が恋心ゆえに自分に甘くしていたからこそ成り立っていたと気づいた。それ以来、自分が男性の好意を搾取していないか不安だ」という話をしてくれたのをよく覚えています。

あの頃から上坂さんははっきりと、「恋がわからない」「女として扱われていることに気づかない」という話をしていた。そうか、上坂さんの恋バナは、「恋わからないバナ」だったんだね。

とはいえ、私も「恋」とうまく付き合えているわけではない。みんなの輪に入りたくて恋をしているつもりなのに、度が過ぎて恋に執着し、その人しか見えなくなり、えんえんと自分の恋バナをして、ドン引きされる。私の「恋」は基準値を外れており、手に負えない。

そのぶん、恋についてああだこうだと考えた時間は長いので、独自の見解は構築している。たとえば、性欲と恋は別物だと思っている。

たしかに、性欲は恋の大きな因子だと思う。私の生活が恋愛でめちゃくちゃになるときというのは大抵、好きな相手と初めて性的接触を持ったあとです。情緒が羽虫の大群のようになり、四六時中、相手の内心を推測する業務に追われ、何も手につかなくなります。この、相手の気持ちを四六時中考えて、何も手につかない状態が、私にとっての「恋」のピークです。性欲だけだったらこんなことにはならないと思う。だって、満たされるはずじゃない?

性欲先行で、恋愛感情を芽生えさせることも可能なのだろうか? と考え、「対照実験」をしてみました。留学中のことです。日本からつきまとってきた羽虫をどうにも追いやることができず、他の人を好きになりたいと思ったのです。それでもただデートしたり、メッセージをやりとりしただけでは、好きで好きでたまらないという状態にはならなかったので、もう最後までやってみたらどうだろうと試してみたのでした。

実験は2回行いましたが、失敗。執着は日本にいる相手を向いたままでした。あ、私の場合、性欲のあとに恋がついてくることってないんだ、と () に落ちました。じゃあ、偶発的に降ってくる新しい恋が追い払ってくれるまで、この羽虫はまだまだ私にまとわりつくんだ。

名前だけ交わして別れモーニングアフターピルを飲めば独りだ /十和田有

がつんとした絶望を感じたけれど、不思議と 清々(すがすが) しい気分でもあった。性欲と恋が分離できること。恋愛感情のない行為でも一定の安らぎを得られたこと。この二つが、鉛のように重いロマンティックラブの価値を軽くしたのです。新しい恋が始まったわけではないのに、脳内の羽音も心なしか小さくなった。

では性欲を引いた「恋」とは何なのか。私を苦しめて、上坂さんの脳内には訪れない、羽虫の大群とはなんなのか。

それは、承認欲求だと思う。もう少し () み砕くと、他人から欲望されることを通じて、自己を形成したいという欲求です。

「無償の愛」という言葉がある。誰かを愛しているときに、愛し返してほしいと思う人は、多数派ではあるでしょう。とはいえ、その気持ちは、愛の月額基本プランには含まれていない。追加オプションだとされているからこそ、「無償の愛」という言葉が成り立つのではないでしょうか。上坂さんの、パートナーさんへの気持ちも、見返りを求めていない点で、「愛」だなあとしっくりきた。

一方で「無償の恋」という言葉は存在しない。誰かに恋しているときには、その誰かから自分を恋われたい気持ちがついて回ってよいとされている。どんな人がタイプかというよくある恋バナは、どういう人間に欲望したいかであると同時に、どういう人間に自分が欲望されたいかの会話でもある。この、欲望したさ/欲望されたさを因数分解すると、性欲の他に承認欲求があらわれる、というのが私の考えです。「恋をする」とは、アイデンティティの確立行為。特に、自分が安らげるジェンダー/セックスのあり方を模索するための、表現活動だと思っています。

上坂さんは、他人を通じてアイデンティティを形成したくないし、ジェンダー/セックスを経由して自己を確立なんて絶対にしたくない人に思える。現代で常識として定着している恋愛の型を理解できないのは、当然の道理だね。

さて、私がどんな人に恋愛感情を抱くかといえば……マイペースな人、顔が好みの人、言葉遣いが丁寧な人、文章がうまい人、本をよく読む人、鼻が高い人、身長は170センチ以上、オタク……。細かい好みは無限にあるけれど、一番大事なのは「私を最初から『女体』として見ており、それゆえに、私が気兼ねなく女性性ロールプレイをできる人」なのかもしれない。

上坂さんには話したことある気がするけど、友達から恋人になるのが、かなり無理。恋愛というジャンルに身を投じた当初は、男友達と付き合うことが何度かありましたが、必ず途中でどうにも嫌になって、雑な態度で遠ざけるようになり破局しました。私が友人の前で見せているのは「女」ではなく「人間」の私なのに、恋人になった途端「女」の魅力に変換されてしまうと、自分が 矮小(わいしょう) な存在に押し込められてしまった気がして、すごく嫌になる。

男友達の片思いに対して、上坂さんは自分の搾取を気にしていたね。私は同じシチュエーションに対して、「勝手に女の枠に押し込めてくる暴力性」に腹を立て、かなり 辛辣(しんらつ) な態度をとってしまいます。最初から「女」扱いであることが明らかな形で近づいてきた人のほうが、納得できる。私が大切にしている「筋」ですね。

でも、上坂さんのように24時間365日「人間」でいたいかというとそうではない。「女」ロールプレイを心置きなく楽しみたい欲求もある。恋人は、この「女」ロールプレイを気兼ねなくできる相手がよい。相手のほうが恋愛上手だと「あーこれ、単に私のロールプレイに付き合ってくれているだけだな」と恥ずかしくなってしまうので、恋愛経験が豊富な人も、あまり恋愛相手にしたくない。「負けてる」と思うと、悔しくて恋心を抱けない。めんどくさいね。今の恋人とは、恋愛偏差値のバランスが取れていて、ちょうどいいロールプレイができている気がする。

恋人は正直、これまで好きになった人々とまったくタイプが異なる人間なので、最初会った時は付き合うことになると思っていなかった。恋に落ちたのは、2度目のデートのときだ。私が誘ったシーシャバーで3時間くらい話したあとに彼が「今日オチのない話ばっかしてごめん……」と謝ってきたとき、脳からつまさきまで、電撃がびりびりと走りぬけた。

オチのある話しようと頑張ってたの、かわいすぎません? そんなことでは謝るくせに、LINEの返信間隔があまりにも長いという指摘には「そうかな? 友達にも聞いてみる」としれっと返してきて意外と自分のスタンスを曲げないので、「こいつ……」と思いながら付き合っている。ここで素直に私の意向に合わせてくる相手よりも、こういう、一筋縄では行かないところを持っている人間に好奇心がわき、結果的に執着を持続させることが多い。もしかしたら、「こいつ……」は、セックス/ジェンダーにまつわるわかりやすい承認欲求を引いた後に残る、私にとっての恋の髄かもしれない。まあ、「フッ、おもしれー女」みたいなやつとも言う。

上坂さんは愛を「船」にたとえたね。恋愛のことを考えるとき、私の頭には「舞台」が浮かぶ。だって、恋愛はロールプレイングゲームだから。舞台の進行に関わる責任はお互いにまっとうすべきだと思うけれど、舞台以外の部分はそれぞれの領域、というのが今の自分の感覚かもしれない。何か向かう先を共にする、というイメージが、私の恋や愛の中には入ってこない。向かう先が違う個が、瞬間的に身を寄せる場所のようなイメージ。私はいつでも恋人との将来について空想しているし、求められるのであれば責任を果たす用意はいつでもあるけれど、求められていないのに舞台以外の部分を詮索するのは、押し付けや、侵害になってしまう。

むずかしくさびしい権力になりたいそしてあなたに行使されたい /榊原紘

さっき、上坂さんを、「見返りを求めていない」「他人を通じてアイデンティティを形成したくない」人だと書いた。でもこうやって書きながら、上坂さんは上坂さんで、自分のアイデンティティを後押ししてくれる他人は必要としているんだよな、と思い直した。

上坂さんの「船」は一人でも漕げるけれど、大きな船だから、ぽつんと一人でいるのは寂しいわけだよね。自分の船に乗ってくれ、上坂さんに気兼ねなくオールを委ねてくれ、他の乗客の存在にもおおらかなパートナーがいるからこそ、上坂さんの船は速度をあげられるのだ。上坂さんは、パートナーが別れたい、と言ったら快く送り出すと言っていたけれど、その理由が上坂さんのものより大きい「船」に乗ることだったら、それはショック受けるんじゃないかなあ。『チェンソーマン』のマキマさんの船とかね。

私は上坂さんと違って、マキマさんを羨ましいと感じたことはなく、デンジが性的にタイプでもありません。 翻弄(ほんろう) される恋愛が好きなので、これまでは、己の「モラハラ」に悩むことはありませんでした(むしろモラハラされる側?)。そもそも男女だと、男が「船」のオールを持ち、女がそこに乗船せよという社会規範が強いしね。

でも、上坂さんには伝えているけど今の恋人がかなりの歳下であることで、自分が「コントロールできてしまう」こと自体への怖さは感じています。私が望むほうへと誘導できてしまう経験値や経済力がある。デートの行き先を決めるたび、私が出すからと旅行で高い宿を予約するたび、自分の思う「普通」はこうだと巧みな言葉で説得するたび。相手が自分から考える気力や、自分に見合った生活をする努力を行う機会や、相手にとっての「普通」が犠牲になってないか、それなりに不安です。同意をとるにしても、無意識に、私に有利な情報提示の仕方ができてしまうし、構造的に勾配ができてしまう。この勾配が、結果的に彼に「従順である」ことを促さないかは、常に悩みです。

「丁寧に同意をとる」とき、上坂さんが心がけていることはありますか? また過去の恋愛と今の恋愛では、どのように「船」のオールの持ち方が異なるのか、が気になりました。

さて。今度こそ京都に行ってきます。

連載「まじわらないかもしれない」は、文筆家のひらりささんと歌人・エッセイストの上坂あゆ美さんが交互につづる「交換ノート」です。共に30代で独身。似た者同士のようで、実は全く似ていない2人が、今の気分にぴったりくる短歌を引きながら、仕事や恋愛、人間関係など、さまざまなテーマについて語り合います。

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