「後ろから追突されて、一瞬で命を失って……。しかも160キロで殺されるっていう」
今年2月、栃木県宇都宮市の国道で、一台のスクーターが乗用車に追突された。乗っていた佐々木一匡さん(当時63)は搬送先の病院で死亡した。その後の捜査で、追突したのは160キロを出した“暴走車”だったことが分かった。
しかし、地検が起訴したのは、「不注意」による「過失運転致死」。車通りのある制限速度60キロの一般道で160キロを出して人を死なせて、なぜ「危険」運転にならないのか。(8月12日放送 「サタデーステーション」より)
■玄関に立っていた警官「すぐに病院に行ってください」
事故が起きたのは今年2月14日、午後9時半ごろ。佐々木さんは、宇都宮市を走る新4号国道を、スクーターで自宅に向かって走っていた。突然、後ろからやってきた黒いクラウンに追突された。バイクは無残にもつぶされ、佐々木さんは搬送先の病院で死亡が確認された。
「まだ帰らない」。そのころ、一匡さんの妻、佐々木多恵子さん(58)は、心が落ち着かないまま、家で待っていた。スマホには、午後9時2分、「今から帰るよ」というメッセージが残されたまま、何の連絡もなかった。
「まだ会社?」「何かあった?」
メッセージを打つが、何の音沙汰もない。
午後11時半ごろ、こらえきれなくなり、外へ出ようと玄関のドアを開けると、警察官が立っていた。「今すぐ来てください」。
連れていかれた病院では、一匡さんが横たわっていた。きれいな顔だったが、体は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「寝ているだけじゃないのか」
そう思って触ると、夫の体は氷のように冷たかった。ヘルメットをかぶっていたからか、顔はきれいなままだった。
一匡さんのスクーターに突っ込んできた乗用車は、「100km/hを超えていた」と多恵子さんは聞いた。ただその後、宇都宮南警察の警察官が、「想定だが、160km/h出ていた可能性がある」と言ってきた。現場の制限速度は60km/h。100km/hオーバーだ。
信じられない速度。「怒りっていうより、驚きだった」。
警察は、付近のライブカメラの映像を解析し、速度を割り出していた。その後、この車が仲間のバイク2台と追い越しなどを繰り返していたことも分かった。
■追突した160kmの車は「危険運転ではない」 なぜ?
3月、宇都宮地検から電話があった。
「過失運転で起訴することになりました」
警察が調べた160km/hが認められなかったのか。
「いえ、時速は161から162キロです」
じゃあ、なんで。
「高速度でも、追突されるまでまっすぐ走れているので、運転を『制御』できているということになる。これは危険運転ではない」
電話があったのは起訴前日だった。4月には裁判が始まってしまった。
「あんな高速度で、一瞬で(命を)奪われるっていう。主人の無念を晴らしたい」
多恵子さんは事件・事故遺族らの代理人を長く務める高橋正人弁護士に相談した。
「危険運転への訴因変更(裁判で争う罪名の変更)を求めるべきだ」(高橋弁護士)
多恵子さんの活動が始まった。
一匡さんと多恵子さんは再婚同士。6年前に結婚し、「最後まで添い遂げよう」と話してきた。コロナで行けなかった海外旅行にも行ってみようか。そんな思いを胸に、一匡さんはポルトガル語を独学していたという。
自動車メーカーの「ホンダ」で働いていた一匡さんは、「やさしくて心の広い人」と多恵子さんは言う。
職場の同僚男性によると、後輩でも気軽に話しかけ、困っているときに手を差し伸べてくれる「頼れる人」だった。社長が掲げた「2050年交通事故死者ゼロ」の目標に向かって、悲惨な事故をどう防ぐか、考えていた。多恵子さんが見つけた一匡さんの記録には、事故当時、「今が一番充実している」と書かれていた。
多恵子さんは宇都宮市内で、「危険運転」への訴因変更を求める署名を集め、高橋弁護士や交通事故の専門家らと何度も何度も現場を見て回った。
地検は「直線道路で車線をはみ出さなかった」というが、実は、現場はわずかに左にカーブしている。サタデーステーションは、実際に車で現地を走ってみた。すると、アップダウンやカーブにより、前方の車が見えなくなる道路だとわかった。ここで160km/hを出したら……。そう考えただけで背筋が寒くなる思いだった。
■想像を超えたスピード 時速160キロで実験走行
160km/hとはどんな速度なのか。実際に体感して伝えたいと思った。茨城県にある日本自動車研究所(JARI)の城里テストセンターを借りることにした。
長い直線コースをプロドライバーに160km/hで運転してもらい、宇都宮事故の現場の制限速度の60km/hの車を追い抜いてもらった。
初めて乗る160km/hは、助手席でも前からものすごい圧迫感があり、目を閉じたくなる恐怖を感じた。少しでもハンドルを切ればコース外に放り出される……。自分ではとても運転できないと感じた。
一通り実験が終わった後、施設の中に、スクーターを見つけた。
「一匡さんはどれほどの恐怖を感じたのか」
計画にはなかったが、施設にお願いしてスクーターを借り、自分で60km/hで走り、160km/hに追い抜いてもらうことにした。
広いコースではスクーターの60km/hは、それほど速く感じない。バックミラーで確認して車が確認できた数秒後、「ブゥン」という音と強い風圧を右側に感じた。「抜かれた」と思った次の瞬間、もう車は数十メートル先を走っていた。
これがスクーターにぶつかっていたら……。想像するだけで恐ろしくなる。
テストコースは昼間、ほかに車がいない状況だった。夜間、車通りのある宇都宮の現場で事故を起こさずに走れると考える方が常識外れだ。これが危険でなくて、何なのか――。
■法律が残した壁 「周りの車や歩行者は関係ない」
なぜ危険運転に問えないのか。刑法が専門の都立大・星周一郎教授に話を聴いた。
ポイントは、「自動車運転死傷処罰法」で「危険運転致死傷罪」が定める、車を「制御」できていない状態が何を指すか、だ。
星教授によると、「制御困難」を二つに分けると、カーブを曲がり切れないなどといった物理的なもの、そして、周りに車がいてそれをよけられないなどといった車の進行上でのものがある。このうち、法律を作ったときには物理的制御のみを対象にしたという。
つまり、周りの車通りや歩行者は危険運転を考えるときに「考慮しない」ということだ。
星教授は「世間的、常識的な解釈と法律上の『制御困難』の解釈で大きなギャップがある」と認める。
この背景には、危険運転致死傷罪が定められるまで、交通事故を裁くのは「業務上過失致死傷罪」のみで、刑は3年以下のものが多かったことがあるという。飲酒運転など、いくつかの類型での悲惨な事故に適正に対応するため、約20年前に「危険運転致死傷罪」ができたが、急に刑が厳しくならないように、「適用を厳格に」という精神があった。
星教授は、現在、最長で懲役7年の「過失運転」と最長懲役20年の「危険運転」の二つしか適用する法律がないことを問題視する。海外では、交通事犯について、故意から過失まで「段階」をつくっている国もあるという。「新しい犯罪類型を制定することもあり得ると個人的に思う」と星教授は話す。
■「俺は事故起こさないから平気平気」他人事なのか?
異常な「暴走車」で家族を亡くしても、「過失運転」でしか裁かれない件は少なくない。三重県津市の大西朗さん(当時31)は、2018年の年末、タクシーに乗っているところに146km/hの車に衝突され、亡くなった。結婚を目前に控えていた。
津地検は「危険運転」で起訴した。だが、津地裁はこれを認めず、「過失運転」とした判決を下した。控訴したが、名古屋高裁も「過失運転」として、この判決が確定した。
朗さんの母、大西まゆみさん(63)は、「判決を聞いたとき、何のことを裁判長が言っているのかわからなかった」と振り返る。「路地を100キロ超えで走って、何人死傷させようが危険運転にはあたらない。常識では考えられない法律ですよ」と声を落とす。
宇都宮の事故で夫を失った佐々木多恵子さんは先月、同じような事故で家族を亡くした人たちでつくる「高速暴走・危険運転被害者の会」を立ち上げた。三重の大西さん、大分市で194km/hの車に弟の命を奪われた長文枝さん、1999年に東名高速で飲酒運転の車の事故で子ども2人を失った井上保孝・郁美夫妻らも加わった。
先月22、23日には、JR上野駅前で、宇都宮事故で危険運転への訴因変更を求める署名を呼び掛ける活動があった。佐々木さんや長さんは強い日差しの中、汗を流しながらチラシを配った。
取材中、チラシを受け取らず、「俺はスピード出すけど事故起こさないから平気平気」と吐き捨てて去っていく中年の男性がいた。
思わず体に力が入るくらいの怒りを覚えたが、佐々木さんが「ああいう人にこそちゃんと呼びかけないと」とつぶやくのを聞いて、はっとした。
佐々木さんは、「事故に遭うまでは危険運転とか過失運転とか考えたこともなかった。今初めて、法律のおかしさを身に染みて感じています」と話す。
多くの人が乗る車の事故で、こんなにも苦しんでいる人がいる。それを何とか伝えなければ、と強く心に思った。
車や歩行者がいる道路を想像もできないほどの速度で暴走し、死亡事故を起こしても「不注意」で裁かれる。遺族の無念が、いつか自分のやりきれない思いにかわるかもしれない。他人事でなく、今後もこの取材を続けたいと考えている。(取材ディレクター 染田屋竜太)
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