Pages

Saturday, May 29, 2021

30代でわかった「発達障害」 九大を出ても無職になった苦しみ、やっと前向きに(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

大苦戦の切手貼り、上司は「なぜ適当にやるんだ」と叱責

厚労省の調査によれば、医師から発達障害と診断されたのは48万1000人と推計される(2016年12月の数値)。診断に足を運ばず、発達障害と気付いていない人の数は含まれていない。 Yさんは幼稚園のころからすでに「人が当たり前にできることを自分は苦手」と自覚していたという。 幸い、言語能力は優れていた。学校のテストは、たとえ苦手な理数系であっても、問題文に日本語が使われていれば、なんとか乗り越えられた。教師から「変わったやつ」と思われようが、成績さえよければ評価された。 それが、社会に出ると、「なんとか乗り越える」ことは通用しなくなってしまう。 2011年に大学卒業後、団体職員(正社員)として就職すると、いきなりつまづいた。郵便物の切手貼りができなかったのだ。 上司は「切手の角度が傾くのは、ビジネス上の心遣いがなっていない」「みんなが当たり前にできるものを、なぜ適当にやるんだ。サボりだ。心が乱れている」と責めた。 「手先が不器用で、どうしてもよれてしまうんです。物差しを当てて、汗をダラダラ流してまっすぐ貼ろうとするけど、手に力が入って、また傾いてしまう。 汚くても責めない。僕じゃない人が貼る。郵便局に持ち込んで局員に貼ってもらう。選択肢はこれくらいあると思うけど、どれも選んではもらえなかった」 それ以外にも、単純な軽作業にいちいち手こずる場面は数えきれなかったという。 「職場に早くなじめ」と、社内部活動への加入が強制され、運動も早起きも苦手だが断れなかった。 人事の担当職員として、能力給を取り入れた給与体系の仕組み作りなど、できる仕事もあったが、体育会系の体質にフィットできず、体調を崩すようになり、鬱になって、休職した。 「復職しても、上司のデスクに『パワハラにならない範囲で、社員を辞めさせる方法』という趣旨の本が置かれるようになり、ここにはもういられないと考え、結局2年間で退職(自主都合)しました」 ●次の会社では隣接部署の電話音に苦しみ、また鬱に それから、双極性障害の診断名で、精神障害の手帳を取得したYさんは、ある企業で障害者雇用の契約社員になる(2013)。能力を存分にいかせる法務部に配属され、やりがいを持って仕事に取り組んだが…。 「隣接した忙しい部署の電話着信音や会話内容がひっきりなしになだれこみ、脳内の処理が追いつかず、また鬱になりました」 通院・入院をはさみ、1年半で会社を辞めた。 それから数カ月して、Yさんは障害者の福祉施設(利用者20人規模の就労支援A型事業所)にいた。 ●福祉施設では「園児扱い」、出身大学も勝手にバラされる 仕事内容は、自動車部品の簡単な組み立てや、チラシの封入・ポスティングだ。 前職までは2~6カ月のボーナスをもらっていたが、ここでの「給料」は県の最低賃金の時給に過ぎない。 同僚には、精神障害者もいれば、脳溢血の後遺症で手が不自由な人や、知的障害者がいた。 仕事をみる職員は、Yさんたちを子ども扱いしたという。 「幼稚園の先生のような言い回しで、私たちに作業を指示しました。敬語まじりでは、言葉を理解しにくい知的障害の利用者もいるから、子どもをあやすような態度で接してくることには納得しました」 絶対に納得できないこともあった。 自ら話していないのに、入所直後から、利用者たちが、Yさんの出身大学を知っていることに気づいたのだ。職員がしゃべっていたのだが、それを許せなかった。 「私はたまたま評価を受ける高校や大学に通ったけど、出身校で評価する人は嫌いです。この職場には、学校に行きたくても行けなかった人もいるはず。生きづらさを感じる仲間として、ともに働きたかったのに、私が大学を出ていると知れば、ひがむ人だっているはずです。仲良くなる前から、勝手に出身学校などの情報を漏らすような管理体制がいやで、数カ月で辞めました」 ここで気づいたこともあった。「障害者の誰にでもできる簡単な仕事です」と求人募集に書かれている仕事は、苦手だとわかった。 職員は、不得意な作業にあたるYさんたちに「脳溢血で右手が動かない人も、知的障害のある人も、一生懸命に頑張ってる。だから、苦手でも頑張って」と言ってきた。 障害者でも、みんな苦手なことは違うのに、「悪平等」を押し付けられていると感じたという。 ●「Yさん、君は歩く奇跡だ」と言われるほどの発達障害と判明 その後もはたらいては辞めてを繰り返したものの、自分のペースや工夫で作業することが理解されず、人間関係も複雑で、苦労ばかり増えた。成果も全くだせない。 なので、はたらくことも、求職活動も、一定期間やめることにした。 そんなYさんが、どうして「発達障害」にたどりついたのか。「発達障害」とは別に、抑うつ症状に苦しんできたからだ。 Yさんが抑うつ感を感じて、初めて心療内科を訪れたのは18歳。高校を卒業した3月、市街地で強盗にあったことがきっかけだった。 「強盗にカッターナイフをつきつけられ、金品を盗まれました。警察を呼んでと頼んだ通行人にスルーされたこともショックでした。3月で通学も終わっているし、すぐ相談できる友達もいなかった。1人で抱えこんでしまったんです。 それからずっと体調は不安定で、入院や通院が必要になることもあり、うまくいかないことばかり。 抑うつに悩まされてから、さまざまな診断名がつきましたが、原因も対策もいまいちハッキリしない。家族のすすめもあり、原因をつきとめるために入院したんです」 病院で、Yさんは30歳をすぎて、ようやく発達障害と診断された。 検査では、「言語理解」などいくつかの項目について、得意・不得意をみる。得意な項目(=高い数値)と、不得意な項目(=低い数値)との、数値の差がひらいているほど、つまり、極端に得意なものと苦手なものがはっきりしているほど、発達障害の傾向があると判断される。 Yさんはやはり「言語理解」で極めて高い数値を出した。抽象的な言葉について、具体的な言葉で説明したり、実体験をまじえて説明したりすることは得意だ。 一方、「処理速度」の数値はかなり低い。たとえば、実生活においては、Excelの「Fの16」というマス目を探すことも大変だし、切手をまっすぐ貼り付けるのも苦手だ。 「項目の数値差が15ポイント離れていれば、発達障害の傾向があると診断されると聞きました。私は70離れていました。 検査にあたった精神科医や臨床心理士からは、『知っているなかでも相当な差が大きい部類だ。5本の指に入ります。歩く奇跡だ』とまで言われました。 私の通院期間や、入院期間を踏まえると、それで前向きに仕事を探していることだけでも奇跡だそうです」 自分を苦しめ続け、社会に適合できない理由がようやくわかったことで、Yさんは泣いた。 「そりゃうまくいかん。涙が出てほっとしました。うまくいかなくてもやもやしていたものが、すとんとふに落ちた。これで対策をとれるようになれば、死にたくなるような気持ちにオサラバできたり、苦しみが軽くなるかもしれないと思いました」

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 30代でわかった「発達障害」 九大を出ても無職になった苦しみ、やっと前向きに(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3p8FONK

No comments:

Post a Comment