ロシアのウクライナ侵攻は大方の軍事専門家の予想に反して膠着状態に陥り、「数日でキエフを占領して傀儡政権を樹立する」というプーチンの当初の戦略は破綻しました。
ウクライナには「祖国を守る」という大義がある一方で、ロシアは奇矯な主張を繰り返すばかりで、この戦争を正当化することができません。SNSで世界中にメッセージを発し、各国の国会で演説するなどすっかり「ヒーロー」となったゼレンスキーに対して、プーチンがいまだに国際社会に向けてなにひとついえないことに、この戦争の「道義的な非対称性」が象徴されています。
断続的に停戦協議は行なわれているものの、このまま撤兵すれば政権の存続が危ぶまれるプーチンが安易に妥協するとは思えません。かといってロシア兵の士気は低く、ポーランド経由で最新式の兵器が大量に運び込まれているウクライナにも降伏する理由はありません。だからこそ、この状況を打開するためにプーチンが戦術核を使用するのではないかとの警戒感が高まっているのでしょう。
今後、なにが起きるかは予断を許しませんが、これまでにわかったことをまとめてみます。
ひとつは、ロシアの存在感が思ったよりも小さかったこと。プーチンは、ウクライナのような小国の運命など欧米は気にしないと高をくくっていたのでしょうが、そのロシアすら、石油や天然ガスなどの産出国としては一定の影響力はあるものの、経済制裁で国債がデフォルトしそうになっても金融市場はまったく反応せず、逆に株価が上がったりしています。ロシアのGDPは世界11位(2020年)で韓国より小さく、アメリカの7%、中国の10分の1しかありません。プーチンはロシアの威信を取り戻そうとしたのでしょうが、もともと威信などなかったのです。
もうひとつは、デモクラシー(民主政)の復権です。コロナ禍の初期には、大量の感染者・死者を出しながら右往左往する欧米諸国に対し、中国のような権威主義国家が効果的に感染を抑制しました。移民問題や経済格差の拡大を背景に、イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ大統領誕生などの混乱が起きたこともあり、「西欧の民主政は耐用年数を過ぎ、機能不全に陥っている」との危惧が広まりました。
そのとき提起された問題はまったく解決できていないものの、それがいまでは、「戦争を勝手に始める独裁政より、政治家が有権者の顔色をうかがう民主政のほうがずっとマシだ」と誰もが思うようになりました。ひとびとがもっとも大切にするのは、自分と家族の安全なのです。
ウクライナの凄惨な状況や市民の英雄的な抵抗がメディアで報じられ、SNSで拡散されることで、平和や自由、人権などのリベラルな価値観が再評価されています。とりわけ最大の権威主義国家である中国の脅威を感じるアジアの国々は、台湾を筆頭に、リベラルな政治・社会体制をつくることで中国と差別化し、欧米と連帯しようとするでしょう。
このようにしてグローバルな規模で「リベラル化」が進み、この潮流は東アジアや東南アジアにも大きな影響を及ぼすことになるはずです。日本がこの「リベラル化の競争」から脱落しないとよいのですが。
【3月18日執筆のコラムです。状況は刻々と変わっていますが、記録のためアップします】
『週刊プレイボーイ』2022年3月28日発売号に掲載
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は、『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』 (小学館新書)。
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