
宗教は、人類の歴史と切っても切り離せないものの一つだろう。世界中どこへ行っても何かしらの宗教が存在するものだが、それはなぜなのか。一度は考えたことがあるだろうこの疑問に、心理学教授が科学的観点から答えた。科学からほど遠いものと思われる宗教を実践することによる「科学的利点」とは。 【動画】心理学者デイヴィッド・デステノによる講演
遠いようで近い「宗教と科学」
生と死、喪失、生きる意味。人間は数千年間、こうした問題を乗り切るために宗教的実践に目を向けてきた。ノースイースタン大学心理学教授のデイヴィッド・デステノは新著『神はいかにして機能するか』(未邦訳)で、最新の科学的証拠をもちいて、宗教儀式によって人のこころに他者への思いやりや信頼が育まれること、そして多くの場合、そのような儀式が苦しみや悲しみから立ち直るよすがになる理由を検証している。 たとえば赤子の誕生をめぐる神道の儀式では、親はわが子との結びつきを強く意識するようになり、仏教徒が行う「黙想」では、他者への思いやりを深めることができるという。そして、ユダヤ教徒が床に直接座って7日間の喪に服す「シヴァ」にも、最愛の人を失った悲しみを和らげる働きがあると考察する。 だが同時に、さまざまな宗教的伝統からもたらされる恩恵を受けるのに宗教に帰依する必要はないとも主張してきた。最近配信のポッドキャストで、デステノは、米イエズス会士のジェームス・マーティン、作家のシャロン・サルツバーグ、ジャーナリストで作家のマイケル・ポーランなど、聖職者や作家にインタビューを行っている。彼はインタビューを通じて、宗教と科学を隔てている境界を縮めようと努めているのだ。
儀式には必ず、何かしらの叡智がある
──「宗教的実践の背後には科学が隠れている」というテーマを追求しようと思ったのはなぜですか? 大学に入ったとき、専攻を宗教学にしようか心理学にしようか決めかねていました。心理学者になろうと決めたのは、実験をしてデータをとれば疑問への答えが見つかると思ったからです。しかしそんな私を虜にしたのは、次の疑問でした。 「宗教は、人間の生活にどのような役割を果たしているのか? 宗教によって人はよりよい生き方ができるのだろうか? 人はどのようにして、人としての徳を身につけるのか? どうやって他者との絆を発見するのか?」 私の研究室は「人びとがもっと親切でもっと公明正大になり、深い慈悲の心を持つようにするにはどうすればよいか」に軸足を置いています。あるとき、瞑想に関心がある学生がこの研究室に加わって、「もともと瞑想は、苦しみを打ち消すのが目的だった」と言ったんです。この学生の発言から、瞑想が徳の高い行動につながるのかどうか調べてみることにしました。その結果、ほんの数週間でも瞑想を続けた人は、そうでない人より思いやりの気持ちが強くなったんです。 ──その研究が、どのようにしてほかの研究テーマにつながったのですか? 私たちが観察した「感謝の気持ちを持った人はさらに誠実で、寛大になれる」という結果からです。たとえば、キリスト教徒の多くは食事の前に感謝の祈りを捧げるし、ユダヤ教徒の多くは朝目覚めたときに感謝の祈りを捧げます。 まるで、何千年も前から使われてきた心理学的手法を発見しつつあるかのようでした。儀式とその実践は、こころと体をうまく活用する手段を与えてくれるのです。 リチャード・ドーキンスやスティーブン・ピンカーのような人は、宗教はおしなべて愚かな実践、迷信であり、こころの伝染病だと断じています。しかし何千年もの間、人生の難局を乗り切るために考えられた思想が人間に何も与えていなかったとしたら、それこそおかしいでしょう。 「神は存在しない」ことは確かめようがありません。神の存在を裏付ける証拠はないが、それが神の不在を裏付けるとも言えない。ですからこの問題は議論してもしかたありません。それよりも私は、人が生きるのを助けてくれる、スピリチュアルな実践のほうに目を向けました。 ある人が「神を信じている」と言ったところで、その人の幸福度が予測できるわけではありません。しかし教会やシナゴーグに行くといったスピリチュアルな実践に費やす時間がある人とそうでない人を比べると、長命で健康的で幸福度も高いのは、宗教的実践の時間を持っている人のほうです。ここからわかるのは、儀式というツールが神からもたらされたものかどうかに関係なく、そこには何かしらの叡智がある、ということです。科学は、こうした事柄と真剣に向き合うべきだと思います。 ──さまざまな宗教儀式を調べてきて、とりわけ驚かされたことはありましたか? 最も驚いたのは、悲しみを取り巻く儀式を調べたときでした。どの宗教にも、悲しみに対処する方法が用意されています。悲しみは避けるのではなく、それと向き合って通過することではじめて乗り越えられるものだからです。 ユダヤ教の「シヴァ」は、個人的に気に入っている例です。これは葬儀後の7日間、故人の家に通う聖なる義務です。善い行いだからそれをするのではありません。これは絶対なのです。 食べ物を持参して、助けられることはなんでもしなければなりません。少なくとも10人以上で訪問して、ともに祈りを捧げます。そうした祈りはたいてい個人ではなく、皆で唱和されます。そのようにして祈りを唱え、声を合わせているうちに、思いやりや互いの結びつきを強く感じるようになり、それが残された者の孤独感を和らげてくれるのです。 また彼らは、誰かが亡くなると、皆で家にある鏡をすっぽり覆います。そうした行為は神学的理由からだけでなく、「どんな感情であれ、鏡を見るとそれがさらに強烈になる」という科学的証拠からも説明がつきます。だから鏡をすっぽり覆えば、少しは悲しみが取り除かれるようになるのです。 ──先生ご自身の宗教的、スピリチュアルな信条についてお聞かせください。 私はカトリック教徒として育ちましたが、大学在学中にカトリックの教えからだんだん離れていきました。無神論、あるいは不可知論に足を踏み入れつつあるといったところですが、いまははっきりと不可知論者だと言えます。 そこにおわします存在が何かはわからないし、自分が信じていることが神学的に何なのかもわからない。しかしそこにはなにごとかが存在している可能性がある。可能性があるのなら目を向けるべきである、という考えなんです。 ほとんどの宗教では、「私たちはこの世界でこう生きるべきだ」とする行動指針がたくさん示されています。美徳とは何か、他者とどう向き合えばよいか、といったことについての指針です。これは大切な教えだと思っています。 ──このような研究を続けていくうちに、先生ご自身の習慣が変化したといったことはありますか? 祈りと、感謝を捧げることが日課になりました。 ある研究で、被験者に「神への感謝、両親への感謝、友人への感謝など、あなたが感謝していることについてよく考えてみてください」と求めたことがあります。するとその後、見ず知らずの人に助けを求められたとき、全員同じ意思決定が働きました。ある俳優に「助けを必要としている人」を演じてもらって実験すると、その俳優の前を通りがかった被験者たちは「情けは人のためならず」と進んでお金を分けるのです。 以来、私も毎日その日の出来事に思いを巡らせ、感謝を捧げる儀式を行う時間を作っています。 ──儀式の土台となる宗教的信条もないのにその儀式を行おうとすることに立腹する人がいたら、どのように応じますか? 象徴や祈りの部分だけを切り離して取り込む態度、「文化の盗用」には断じて反対するでしょう。象徴や祈りは、それらを発展させた文化に属するもので、その文化的伝統は尊重すべきです。 とはいえユダヤ教のシヴァのすばらしさを見れば、家中の鏡をすっぽり覆うのが習慣にならなかった理由がわかりません。家族や友人と共に過ごし、食事を共にして、場合によっては共に歌ってシヴァのような共時体験をしてもいいはず。 ヨガやマインドフルネスの実践にも同じことが言えます。神から与えられたものであれ、人間が独力で得た知識であれ、利用可能なツールを利用していることに変わりないのですから。 ──宗教的実践の流れの一部は今後、どこへ向かうのでしょうか? 人びとは旧来の信仰を離れていますね。スピリチュアルさを求めて、あらたな方法を探しています。しかし旧来の宗教を離れると、日々の生活リズムを刻んできた儀式や実践といったツールをすべて捨ててしまいがちです。儀式は、何もないところから勝手に出現するものではありません。それは何千年もの間、バグつぶしみたいなことをひたすら繰り返して、私たちのこころと体の働きをうまくつかさどるツールへと発展したのです。 ひとつだけ心配なことはあります。こうした儀式を、オンラインで行おうとする動きです。いまは新型コロナのせいで、何をするにしてもリモート対応を余儀なくされています。しかし宗教儀式はそもそも他者と同じ空間を共有して行われたときに、その働きが最大になるようにできているんです。私たちは同じ空間に集まると、心拍数と呼吸のペースが同調するようになります。こうして私たちのこころと体は整えられていくのです。 なぜ人は、教会でひざまずくのか? 情報を表示する画面を高い場所に設置するとどうなるかを検証した研究があります。すると、人びとはスクリーンに表示された情報を重く受け止め、それを強く信じるようになることがわかりました。低い位置から見上げているからです。 生理学的に見ても、私たちは垂直方向に高いところにあるものに権威性を見出す生き物です。もしコンピュータや携帯電話の画面ばかり覗き込んでいたら、宗教儀式の持つ力強さや荘厳さが、リモートゆえにほとんど失われてしまうのではないかと危惧しています。儀式が機能する、本来の姿ではないからです。
Sarah Pulliam Bailey
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