読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。あなたの「物語」も、世界でひとつだけの花束にしませんか? エピソードのご応募はこちら。
〈依頼人プロフィール〉
日比野美佐さん(仮名) 55歳 女性
ライター
ニューヨーク在住
◇
私は28年前に渡米、ニューヨークで妊娠中から、ひとり親で双子を育てています。
その子どもたちを妊娠した2008年、父と母が立て続けにこの世を去りました。最後に日本で元気な両親と会ったときのことは鮮明に覚えていて、今でも思い出すと涙が止まりません。
当時私は毎年帰国していましたが、なぜかその年は父と2人で出かけることが多かった。例えば父が大好きな山登りに行こうということになり、新年の参拝も兼ねて珍しく2人で高尾山へ行きました。帰宅途中、その当時話題だった日本ブランドのシャツをお土産に買ってくれたり、私がニューヨークに戻る時も、空港まで見送りに来てくれたり、たくさんの思い出を作りました。
後で母から聞いた話によると、父は空港の屋上で飛行機が飛び立つまで待っていて、飛行機を見送ってくれたそうです。病院にもかかったことがない丈夫な人でしたが、この見送りがきっかけで風邪を引き、73歳までほとんど縁がなかった病院に行ったそうです。
幸か不幸か、その病院で末期の肺がんが見つかりました。医師も「ここまでよく平気だった」というほどがんは進行し、3カ月持つかどうかという命でした。
私が米国に戻った直後だったため、母はすぐには知らせませんでした。そして私の方も、ちょうど妊娠が発覚して、どうしていいかわからない状態。あんなに元気だった父が倒れたとは、夢にも思いませんでした。数カ月後、もう危ないと知らされ、妊娠中にもかかわらず飛んで帰りました。父は別人のようになっており、私のことを認識できたかどうかわかりません。間もなく父を看取り、私が米国に戻ってすぐ、母も疲労が災いしたのか、大動脈瘤(りゅう)が破裂し、突然亡くなってしまいました。
2人には孫ができることを伝えたものの、父は病床にいたために、また母は亡くなる直前に認知症が進み、2人ともどこまで理解していたかわかりません。生まれた子どもたちにも、会ってもらうことはできませんでした。
初めて自分が親になってわかったことは、ひとり娘にもかかわらず家を出て渡米してしまい、両親はさぞ寂しかったのではないかということです。母は繊細な人でしたが、以前母に「娘は27歳で死んだことにする」と言われた言葉が、今も耳から離れません。
私には経済的に2人のためにお墓を用意することができず、父と母が住んでいた家の近くのお寺にお骨を預けています。2人が亡くなったあとも毎年、夏の命日に行っていましたが、このパンデミックで、もう2年もお参りができていません。
困った時に側にもいてあげられず、本当にわがままでごめんなさい。こんな私を、他界から、孫のことも含めて見守ってもらえたら。パンデミックが終わったら、また孫を連れてお寺へ行くから待っててね……そんな気持ちとともに、私の代わりに、お花を届けてもらえないでしょうか?
花束をつくった東さんのコメント
お亡くなりになったお父様とお母様へのお花です。まず山登りがお好きだったというお父様をイメージして、芝生のようなナデシコや、山野草のようなフジバカマをお入れして、中段は自然を思わせるような作りに。
また繊細な方だったというお母様にと、この季節の花であるシュウメイギクを上段に使いました。お二人をイメージして、グリーンと淡いピンクの色合いが中心になっていますが、そのやわらかいイメージを囲んだ緑の葉がひきしめています。
そんな季節のお花をお供えすることで、投稿者様のお気持ちが天国のご両親に届いたらいいなと思います。




文:福光恵
写真:椎木俊介
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