
砂嵐が起き、外に干していたおむつが焼け焦げた。 豪州南部の居留地クーニバ。先住民(アボリジナルピープル)たちが奇妙な出来事を体験したのは、1953年10月のことだった。 スー・コールマン=ヘーゼルダインさん(70)は当時2歳。記憶はないが、物心ついたとき、似た出来事がその後もあったと、大人たちが話していたことを覚えている。それが、英国による核実験が原因らしいとわかったのはずっと後だ。(シドニー=小暮哲夫) 【画像】核被害 愛する人が倒れた グローバル・ヒバクシャの真実
突然、立ちこめた黒い霧 直後から異変
豪州では52~57年、英国が12回の核実験をした。冷戦後の核兵器開発競争のなかで、豪政府は実験場を探していた旧宗主国の求めに応じた。自国に対する安全保障上の保護や、埋蔵ウランの輸出などの期待があったとされる。 そのうち9回は、豪南部の砂漠地帯のエミューフィールドとマラリンガで行われた。「人のいない遠隔地」という理由で選ばれたが、合わせて約3700平方キロ、奈良県ほどの大きさの一帯では数万年前から先住民たちが移動して狩猟や採集をしながら暮らし、独自の文化を育んできた。伝統信仰の場もあった。 一方、コールマンさんが生まれたクーニバは英国人らが入植する過程で、先住民を強制的に住まわせた居留地の一つだった。実験場から260~360キロも離れていたが、放射性降下物が及んだとみられている。 そこには、当局が実験場に近い地域から、理由を告げずにトラックの荷台などに乗せて退去させてきた人たちも一時期、滞在していた。だが、実験について説明はなかった。人々は空から降ってきたものが有害なようだと思ったが、何かわからなかった。 当時、先住民は選挙権がなく、国勢調査の対象ですらなかった。「私たちは無視され、虐げられていた」とコールマンさんは憤る。
人口2千人弱 「私の町はがんの首都だ」
先住民に移動の自由が各地で認められ始めた60年代、コールマンさんの家族は40キロ離れた小さな港町セドゥナに移住した。40歳のころ、甲状腺にがんができて切除した。孫娘も15歳で甲状腺がんが見つかった。 人口2千人弱のセドゥナは、4人に1人近くを先住民が占める。周囲でも様々ながんや胃腸の疾患、不妊や死産を経験するケースを見てきた。「私の町はがんの首都だ」。政府が核実験との因果関係についての調査をしたことはない。 実験が行われていたころ、白人の所有する内陸部の牧草地で働かされていた先住民たちもいた。 エミューフィールドから北東に170キロ離れたワラティンナでは53年10月、そんな先住民たちが、黒い霧のような雲が立ちこめるのを見た。その直後から目や皮膚の痛み、嘔吐(おうと)や下痢などで体調を崩した。 カリーナ・レスターさん(46)の父ヤミ・レスターさん(故人)もそこにいた。その後、視力が落ち、失明した。豪政府に核実験の被害と補償を訴える人々の先頭に立ち続け、17年に75歳で亡くなった。 「父は、子どもの私を見ることができなかった。核実験は、私の家族に計り知れない打撃を与えた」 豪政府に健康被害を個別に要求して認められ、補償を受けた先住民は、これまでにヤミさんら20人余りにすぎない。
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