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Saturday, August 14, 2021

<戦後76年>遺族の悲しみ 敵味方なし - 読売新聞

 田辺市龍神村殿原の旧殿原小学校舎「ささやか館」で、太平洋戦争末期に同村の山あいに墜落した米戦略爆撃機B29の破片などが展示されている。管理しているのは、墜落を実際に目撃した地域住民の古久保健さん(83)。「大戦当時の敵、味方は関係ない。亡くなった全ての命を悼む気持ちを持ってほしい」と願う。(大田魁人)

 1945年5月5日の昼前、7歳だった古久保さんは飛行機の音を聞いて自宅から飛び出した。頭上には、煙を上げながら飛ぶB29が見えた。しばらくすると火を噴き、旋回しながら急降下。防空 ごう に逃げ込もうとしたが、けたたましい音が聞こえ、振り返ると山から黒煙が上がっていた。

 幼いながら、墜落したことだけはわかった。「まさに『 轟音ごうおん 』だった。あの墜落音が、頭にこびりついて離れなかった」。あの瞬間にいったい何が起こったのか、搭乗員はどうなったのか。疑問は消えず、中学校教諭を定年退職した後、本格的に調べ始めた。

 当時の資料を読んだり、地域住民に聞き取ったりして、日本軍の攻撃で墜落したと判明。搭乗していた11人の米兵のうち、7人は死亡、4人はパラシュートで脱出したが、捕虜になっていたこともわかった。

 自身も父を戦争で亡くしており、「この米兵たちの遺族はどうしているのか。彼らがどのような最期を遂げたのか、知っているのか」と新たな疑問を抱いた。

 在日米国大使館に手紙を送るなどし、墜落死した1人の妹の所在を突き止めた。約8年前に渡米。死亡した場所や、地元で毎年、慰霊祭を開いてきたことなどを伝えた。

 妹は謝意を示すとともに、「何年たっても悲しみが癒えない」などと語ったという。「敵も味方も関係なく、遺族は同じ思いを持っていることがわかった。戦争の悲惨さを改めて実感した」と振り返る。

 ささやか館で展示されているB29の機体の破片は、焦げて黒くなっていたり、折れ曲がっていたり、衝撃の大きさを物語る。搭乗していた米兵の集合写真や一般の人から寄付されたB29の模型といった資料も並ぶ。

 館の近くには慰霊碑も立つ。「人の命が価値のないものとして扱われた戦争の残酷さを学んでほしい。あんな惨事を二度と起こしてはいけない。そういうメッセージを人生をかけて伝えていきたい」と力を込めた。

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